こんにちは。裏紙日記のJunです!
最近聞くことの多い『フェミニスト』という言葉。皆さんは正しく理解しているでしょうか。
自分は男だから関係ないと思っている人や、他人事にように思っている人も多いと思います。
ただ、今では「厄介な女性」の代名詞のようなイメージで使われてる『フェミニスト』の本来の意味を理解していない人は多いと思います。
そこで、本来の意味合いと現状を一度立ち止まって考えてみたいと思います。
目次
『フェミニズム』とは

そもそもフェミニストの思想『フェミニズム』とはどんな思想なのでしょうか。
『フェミニズム』とは、女性解放思想・男女同権主義などと言われ、政治や文化、社会において性的な格差を明るみにして性的な平等を目指す考え方を言います。
なので『フェミニスト』は簡単に言うと男女平等を唱える人たちです。
こうしてみると、私自身も男女平等の世の中を理想とするので、私も『フェミニスト』だと言えます。
さらに言えば、日本人の多くは『フェミニスト』の思想を持っている人は多いのではないでしょうか。
ではなぜ、多数派にも見える考え方にも関わらず「厄介な女性」のようなイメージがついてしまっているのでしょうか。
なぜ『フェミニスト』は厄介な女性のイメージなのか
日本人の多数派のようにも感じる『フェミニスト』ですが、なぜ厄介な女性のイメージがついてしまっているのでしょうか。
私が考えた理由は以下の2点です。
- フェミニズムを認知させるために声を大きくする必要があったから
- フェミニズムを押し付けてしまった少数の印象が定着してしまったから
1つ目の理由は世間に『フェミニズム』を認知させるために声を大きくする必要があったからだと思います。
今までは性区別についてあまり深刻に考えられていなかったため、そもそもフェミニズムという言葉がそもそも認知されていなかったはずです。
そんな社会に新たな価値観を広めるためには声を大きくする必要があります。
その時に主導していた多くの人が女性であったために、フェミニストが女性のものという誤った認識が広まってしまったのではないかと思います。
2つ目の理由は『フェミニズム』を押し付けてしまった少数の印象が定着してしまったからだと思います。
ある程度認識が広まってくると、興味を持って話を聞く人や反論する人が増えてくるはずです。
そのステップに来た時に、考えを広めることに意識を置きすぎて価値観を押し付けてしまったり、極端な思想になりすぎてしまった人の印象が広まってしまい、厄介な女性というイメージになってしまっていると感じました。
価値観の押し付けというものをキリスト教をモデルに例えてみると、
本来は「イエス様を信仰するキリスト教には〜〜〜という教えがあります。素敵だと思いませんか?」といった広め方をすべきだと思いますが、
「イエス様が〜〜〜と言っているのだからこうすべき」という言い方は完全に押し付けていますよね。
実際にフェミニズムに関しても、一部とは思いますがこうした価値観の押し付けのような意見もあるので、このような意見が広がり、フェミニストのイメージとなってしまったのではないかと思います。
私の思う『フェミニズム』の理想の社会とは

私が思う男女平等社会の理想は、『フェミニズム』という言葉が衰退することだと思っています。
現在、フェミニズムという言葉が意識され始め、男女平等に向けた取り組みがなされているように見えますが、果たして世間の向いている方向は本来フェミニストが目指していた社会なのでしょうか。
私はフェミニストが目指す社会とは大きくかけ離れているのではないかと思います。
例えば、男性の管理職の割合が大きい日本の社会をみて、女性管理職のポストを作り、女性が昇進しやすくなる取り組みが行われていますが、フェミニストが目指している社会は果たしてこれなのでしょうか。
本来は女性も実力を正当に評価して欲しいという想いからだったはずです。
しかし今は「企業が世間の評価を気にした取り組み」となってしまっており、より男女を区別して評価されているように感じています。
さらに企業側、もしその取り組みで管理職になった女性の能力が低かったら、利益を求めるべき企業も不利益となってしまいます。
このように、今の男女平等の考え方は間違った方向に進んでしまっているのではないかと私は感じています。
男女平等な世の中になれば、「平等」という言葉は衰退すると思いますし、そうなって欲しいと思っています。